妻の百合子が、目を細めて私をじっと見つめている。右手には何か白い紙が握られている。
「あなた、先月分のクレジットカード明細について説明していただけますか」
「あの、前にも相談したように、新しい趣味として、ギターをはじめることにしたわけで、ギターは、あまり場所を取らない、コンパクトな趣味であり、今後何十年にもわたる私という人材の育成のため… 」
「理念のお話は、もう結構です。ギターをはじめること自体は、許可しました。本日再確認したいのは、現実に発生した費用とその内訳についてです」
「 … 」
「あなたが購入を申請したギターとアンプは、何でしたか。私に提示した見積もり金額は、おいくらだったでしょう」
「プレイテックのストラトキャスター・シールド付き、6000円。プレイテックのギターアンプ、4000円。計1万円を申請いたしました」
「そのはずでした。しかし、いまあなたの後ろにあるそのギター、それは何ですか」
「これがそのプレイテックのストラトキャスターです。サウンドハウスで6000円で購入しました!」
「それはストラトキャスターでしょうか。違いますよね。ギブソン社のヴィンテージES-175ですよね。お値段はいくらでしたか?」
「…6万円くらい、したかもしれません」
「チブソン社のES-175タイプの話はしていません。200万円だった可能性は、ないとおっしゃるのですね」
「あの、PAFというものが付いている、フルオリジナルの、非常に状態が良い1960年前後のレアな個体で、最終的にそのくらいになった可能性はあります。ただ、よく確認せず渡された書類にサインしました。そのため金額は覚えていません」
「そしてギターの隣りにあるそのアンプ、それは何ですか?」
「これはZT Amp Lunchbox Jr.という、小型軽量で音も良い、エコなアンプです。当初予算を少し越えて、3万円くらいしてしまいました、すみません」
「最後のチャンスを与えます。自浄能力を発揮されてはいかがですか」
「本当はヴィンテージのFender USA 1959 Tweed Twin 5F8-Aというものです」
「それは4000円だった、とあなたは主張するんですね?」
「100万円しました」
「つまり稟議書では1万円だったものが、最終的に300万円になったのですね? 先月クレジットカードでそれを買ってしまったのですね?」
「な、何を言っているのかわからねーと思うが… おれも何をされたのかさっぱり…」
「どこの誰に売りつけられたのですか」
「カミノクニ楽器の… 森… 森店長です。頭がどうにかなりそうだった… 相談しているうちに… どんどん高いものになっちまって… 何が起きたのか… 」
妻の百合子は電話でカミノクニ楽器の森店長を呼びつけた。そして2人は45分間会見した。
百合子 「ソリッドのはずが、なぜハコモノに変わったのですか」
森店長 「ハコモノありきでないと、金が動かんだろう。しかしソリッドだ、ハコモノだと、あなたはギターのことをよく勉強している。1万円という計画は、最初から無理があった。材料の木材だって、高騰している」
百合子 「でもヴィンテージ・ギターですよね。材料費の高騰は関係ないんじゃないですか」
森店長 「とにかくだ、わしはあんたの指図は受けない。最終的に300万になったが、大した金額じゃない。もう決まったことを、人気取りのために何でもかんでも撤回するようなことはやめたらどうかね。もっとプレイヤーのことを考えてはどうか。プレイヤー・ファースト。良いギターを使ってもらおうじゃないか。ヴィンテージのGibson ES-175は素晴らしいギターですよ、未来の子どもたちに受け継いでもらう必要がある、立派な遺産。売った私の店だって関係者だって潤う。旦那さんだって、見なさい、恍惚とした顔でギター眺めているじゃないか。誰も文句は言わない。あなた何が不満なのかね」
その時、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。どうやら通販で注文しておいたLine6 Helixが配達されてきたようだ。他にもいろいろなものが、これから毎日、家に届くことになっている。支出はこれからも増え続けるだろう。際限なく。支払いのことを考えるのは、もうやめた。
私を待っているのは、輝かしい恍惚とした未来。4年後の私は、これらの素晴らしい機材でどんな美しい音楽を奏でているだろうか。