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新世紀マイルス語録(10):甘美な幻影と厳しいリアル。どちらを選ぶかはお前次第だ

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前回までのあらすじ:いつものように磯丸水産でハマグリを食べていた「ぼく」に、精霊マイルスが驚愕の事実を告げる。「ぼく」が食べていたそれは本物のハマグリではなく、「ホンビノス」と呼ばれるバイナリーコード、即ちコンピューターによってプログラミングされた仮想現実であった。人類は遠い昔、検索エンジン最大手Evil社が開発した人工知能(AI)によって支配され、彼等に電力を供給するだけの奴隷的存在と化した。「ぼく」はずっと夢を見ているのであり、何もかもが幻だった。そして「ぼく」の本名は「ネオ」なのだった。






その日、ぼくは新しいギターが欲しくなり渋谷の有名ギターショップ「ウォーキン」に足を運んだ。狭い階段を上り扉を開く。しかし、扉の向こうは何故か居酒屋だった。カウンター席に通されたぼくの前に、板前さんが刺身の盛り合わせを置く。いったい何が起こっているのか。

新世紀マイルス語録(10):甘美な幻影と厳しいリアル。どちらを選ぶかはお前次第だ

まだ、わからないのか…

振り向くと、隣にはマイルスがいる。巨大なサングラスにアフロヘアー。ビールのグラスを片手に、ガムを噛んでいる。

ここは『ウォーキン』ではない…『魚金』という居酒屋だ…人工知能がお前に見せているこの仮想現実も、完璧ではない…バグがある…この場合、『ウォーキン』と『魚金』という2つの関数が、競合を起こしている…

ぼくはなんだか腹が立ってきた。マイルスの話は荒唐無稽すぎる。ハマグリがホンビノスだとか、本当のぼくは眠って夢を見ているだけで磯丸水産もぼくのES-335も十二平均律もすべて幻なのだとか、そんな話にはもううんざりだ。ぼくはマイルスを無視してウナギの蒲焼きを食べることにした。

新世紀マイルス語録(10):甘美な幻影と厳しいリアル。どちらを選ぶかはお前次第だ

それはウナギではない…本物のウナギは数十年前、人工知能と人間との間に戦争が起こるよりずっと以前に、絶滅した…そのウナギのようなものは、「アナゴ」と呼ばれるバイナリーコード、つまりそれも…幻だ…

マイルスの指の間から煙草の煙が立ち上る。おかしい。居酒屋魚金は店内全面禁煙のはずだ。なのに誰一人マイルスに注意しようとはしない。ぼくは目の前にあるウナギを食べてみた。しかしマイルスが言うように、それはぼくが知っているウナギとは味が少し違っていた。美味しいことは美味しい。しかしこれはマイルスが言うように、『アナゴ』と呼ばれる、ウナギに似せた感じのコンピューター・プログラムなのかもしれない…

次の瞬間、ぼくは巨大な水槽の前にいた。不思議なサカナが口から泡をぷくぷく吐き出しながらぼくを見つめている。その人は預言者だ、とマイルスが言った。

新世紀マイルス語録(10):甘美な幻影と厳しいリアル。どちらを選ぶかはお前次第だ

この世界でエージェント(人工知能)たちに発見されないよう、さりげなくフグの形態を取ってはいるが、この世界のはじまりから終わりまで、全てを知っているお方だ…彼女は名を『オラクル』と言う…ついでに言うと…ジョージ・ラッセルという名で、リディアン・クロマティック・コンセプトという本を書いたのは、実は彼女だ…

ついにやってきましたね、とそのフグはぼくの脳に直接語りかけてきた。

ついにこの日が来たのですね、タブログ。あなたはこの世界で、ジャズギ・タブログという名前で、ギターを弾いたり、どうでもいいブログを書いたりしているようだけれど…それはすべて幻…カセットコンロで楽しく魚介を焼いている時でも、本当のあなたは、火の消えた冷たいカセットコンロの前の椅子に縛り付けられていて、人工知能のために発熱しているだけ…そしてあなたの仲間たちも…

お客さん、閉店ですよ!店員さんがぼくの肩をやさしく揺する。どうやらぼくは貝を焼きながら眠ってしまっていたようだ。いや、しかし、何かがおかしい。閉店?磯丸水産は24時間営業のはずだ。

ぼくの前には、火の消えたカセットコンロが置かれている。ぼくは回りを見渡した。すると、他のお客さんたちは全員椅子に縛り付けられていて、カセットコンロを前にしてウトウトしている。これが、これが現実なのか。あの貝も、あのエビも、ホッピーと呼ばれる飲料も、全て幻だったというのか…

新世紀マイルス語録(10):甘美な幻影と厳しいリアル。どちらを選ぶかはお前次第だ

お前は、決めなくてはならない…とマイルスが呟く。

目覚めて俺達と一緒に、楽器の訓練をし、音楽を武器に人工知能と戦うか…それとも夢の中で毎日酒を飲み、ホンビノスやアナゴを食いながら一生を終えるか…甘美な幻影と、過酷な現実…どちらを選ぶかは、お前次第だ…それと…土日は酒を飲まず、長時間練習しろ…わかったか…

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音楽が人を感動させる過程を観察する:Suchmosに反応する2人の外国人女性

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半年ほど前にこの記事でSuchmosという日本のバンドについて触れました。テレビCMで”Stay Tune”という彼等の曲が流れていて、空耳アワー的英語の不思議な言語感覚と懐かしい感じがするグルーヴにハマったのでした。私この曲大好きです。

で、つい先日2人のカナダ人女性による、上の動画への「反応動画」を見つけました。これが面白い内容。2人が何を話しているか、動画下に日本語で解説してみました。

「飛行機が離陸するみたいな音だね」
「(曲が始まった瞬間)おおーーーっ!!また懐かしいレトロ風のヴァイブ、やめてー」
「彼の声…!!」
彼の声、グルーヴがある!!
「今日はレトロの日なの?(※2人はこの日他にも色々聴いていた模様)」
「だからJPOPって聴いていたくなるのよ、JPOP, JROCK, JWORLD」
「(vo.のヨンスが歌いはじめると)ワァーオ…」
すごい特徴のある声してる
「(ファルセットに)ワァーオ、Yes, Sir!!
「(ファルセットを)軽々とやってるねー
「わたし椅子から落っこちそう」
「このひとソロなの?それともグループ?」
バンドだー!!! みんな楽器持ってる、見てー」
「(ヨンスの”yeah yeah”に)yeah yeah !! (そして踊りはじめるw)」
「(再びヨンスのファルセットに)わぁーお…(うっとりした様子)」
「彼の声、独特で惹きつけられちゃう」
「レイドバックした感じが好き」
余裕なのよね(effortless)
クールなのよ(=歌い方に力が入っていない、cool about it)」
「歩きながら歌ってるね」
「バックのミュージシャン、私達聴いてるよ!!」
「あなたたちすごくいい」
「わたしこれ大好き」
「この人たち誰なの!!」
「あの髪型」
高い声出せるねー
「ロボットだ」
(完全にノリノリで踊っている2人)
「これ一日中聴いていられる」
「毎日聴いていられる」
「iTunesでこの曲ダウンロードする」
「(バンドメンバーが光る映像エフェクトに)おおー」
「勿論ボーカルの彼も光るよね、わかってたよ(笑)」
「すごく良かった。最初の2秒でもう良かった」
「もう1回聴きたい」

人が何かに感動する姿を目にするのは、いつも気持ち良いものですね。心が洗われます。

では本題に入ろう。ジャズ・ギタリスト諸兄に私の学びを共有したい。研究の結果、女性観客の心をガッチリ掴むには次の点を心掛ければ成功するらしいことが判明した。

  • 何はなくとも特徴のある最高にいいトーンで弾く
  • それを頑張っている感じがしない、余裕たっぷりな感じで弾く。必死感があると女性にはモテないのだ
  • 相手が思わず繰り返したくなるようなフレーズを弾く
  • ソロ・アーティストではダメだ。バンド。バンドなのだ
  • 可能であれば最初の2秒で相手を自分の世界に引き込む
  • 可能であれば光ってみる。全身と顔から光線を発してみよう

最初の3つは努力次第で何とかなりそうである。また、なんとかすべきである。あとやっぱりリズム。相手が踊りだしたらもうこちらのものである。俺のジャズギターは、果たして彼女たちの身体をこれほどまでに揺らすことができるだろうか…

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パット・メセニーが本気で怒ったあの事件を振り返る

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2000年頃にパット・メセニーがサックス奏者のKenny Gを酷評した有名なエピソードがあります。その発端となったインタビュー動画は本人が意図しない形で部分だけを切り取られてしまっており、パット自身が不快に思っているらしいので紹介はしませんが、このサイトでパットが事の顛末を説明しています。まずは下のKenny Gのステージを見てみます。

パット・メセニーはこの演奏(レコードとライブ)について大体次のように語っています。

最近Kenny Gがレコードを出した。ルイ・アームストロングの30年以上前の「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」に自分の演奏をオーバーダブしたものだ。これをやったがために、Kenny Gはこの地球上で僕が人として認められない数少ない人間の一人になった。こんなことを考える傲慢さは人としてダメだし、ジャズにおける最も重要な人物の一人とステージを共有するふりをするのもミュージシャンとしてはダメだ。

この手の音楽的な死体愛好、つまり亡くなったプレイヤーの既存のトラックにオーバーダブする手法だけれども、ナタリー・コールが何年か前にお父さんと「アンフォゲッタブル」をやった時は奇妙な感じがした。でもそれは彼女のお父さんだったんだ。トニー・ベネットがビリー・ホリデイとそれをやった時もおかしな感じがした。でも彼等は20世紀の最も偉大なシンガーのうちの2人であり、アーティスティックな達成度という意味ではほとんど同じ地平にいた。ラリー・コリエルがウェス・モンゴメリーのトラックに自分の演奏をオーバーダブしようとした時、僕はそれまで彼に持っていたレスペクトの多くを失った。そんな悪趣味な人間、僕の個人的なヒーローにそんな失礼なことをできる人間をレスペクトしていた自分が本当に信じられない。

しかしKenny Gが恐らく最も有名なジャズ・ミュージシャンの音楽を、胸糞が悪い、適当な、インチキブルージーな、調子っぱずれの、その場ででっちあげたような、弱々しいガラクタみたいな演奏で冒涜してもいいのだと考えた時、彼はやってしまったんだ、僕が想像さえしなかったようなことを。彼はその一手で、この最も冷笑的な音楽的方向に、信じられないほど自惚れた鈍感な音楽的決断で身を乗り出すことによって、過去と現在のあらゆるミュージシャン達の墓に糞を撒き散らしたんだ。そのミュージシャン達はルイ・アームストロングがその素晴らしい生涯のあいだ一つ一つの音に注いだ恵みにインスピレーションを受けながら、何年も何年もツアーに出て自分の人生をリスクに晒しつつ自分の音楽を作り上げてきたんだ。ルイ・アームストロングと彼の遺産と基準を、即興音楽を前向きにやろうと試みてきた人達を冒涜することで、Kenny Gはモダン・カルチャーに新たな低次元を生み出した。僕達は皆それについて完全に困惑し、恐れなければならない。僕たちはこれを見なかったことにすることで、自分たちの身を滅ぼそうとしている。

朝鮮中央テレビに勝るとも劣らない激しい口撃です。はじめてこの記事を目にした時、パットが他人をこれほどまでディスれる人間であるとは思っていなかったので、驚きました。もっと余裕のある、大きく構えた、自分の音楽だけに集中している優しい人だと思っていたのです。いつも笑顔だし。しかしこのインタビューへの追記でパットはまさにこうした驚きに対して、そんな風に驚かれるなら10倍厳しく練習したくなる、だって僕の音楽はKenny Gとは全ての面で違っているはずなのに、それが明確には伝わっていないのだから、と語っています。

私はKenny Gの音楽をきちんと聴いたことがなかったので、このインタビューを読んだ後に少し聴いてみました。するとソロがポール・デスモンドのそれと寸分違わない完コピだったりして、確かにこれではスムーズ・ジャズの名の下に過去の遺産を食い物にして金儲けをしていると怒られても仕方ないだろう、と思いました。

一言で言うならパットにとってKenny Gの音楽は、常に現在進行形で現在の中で展開されるはずのジャズという音楽を「ジャズまとめ」のような形で、死んだもの、もう終わったものとしてショーケースし、懐かしむようなものに聴こえるのでしょう。

思想と音楽は切り離せない、とあらためて思います。パットの曲、パットのギター。すべてこの思想の上に成立しているのでしょう。メセニーはやっぱり眩しい。上の出来事から17年も経っているのに、今でも火のように熱い。そしてもうすぐ63歳になる今でも同じ態度で音楽をやっている。

こんなことを書くと本人に怒られそうですが、彼はジャズ・レジェンドと呼ばれる最後の人になるのではないかと思うことがあります。今年は今のところ来日予定はないようですが、これからは毎年1年たりとも欠かさず観に行くつもりです。

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マイルスは何て言うだろう?

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ロバート・グラスパーが去年リリースした”Everything’s Beautiful”はマイルス・デイヴィスの音源を利用していたことで話題になりました(ジョン・スコフィールドも1曲で参加)。下は”Get Up with It”収録の”Maiysha”でのマイルスのプレイがフィーチャーされています。エリカ・バドゥが歌詞を書き、グラスパーが美しいボサ・ノヴァに仕上げました。

なんとなく聴いているだけだとジョビンの”How Insensitive”を思わせる、恋を巡る女性の感情の葛藤を描いているように思われるしんみりとした曲なのですが、この動画を観ていると色々と不自然な点に気付きます。

まずエリカ・バドゥの髪型と服装。これはもうアストラッド・ジルベルトを意識しているのは間違いないでしょう。そしてロバート・グラスパーのソロ。リディアンが炸裂する最高にカッコいいソロなのですが、アテレコが合っていないどころか、音が鳴っているところで手を離し眼鏡の位置を直しています。しかもその箱からそんなmoogみたいな音するか!という音色。

トランペッターを見てみます。マイルスのソロにアテレコしているのですが、ミュートがはめられていません。彼とベーシストは靴をはいていません。エンディングのベース、アルコが終わる前に弓をしまってどうする!ていうかドラム、これ打ち込みだろ!エリカ・バドゥは手袋をした指をパチン!と鳴らしています。

考えてみると歌詞がどうもやばそうなことにも気付きます。詳しくは書きませんが、”That’s what she said”という有名な英語ジョークを用いた、相当卑猥な歌詞です。

そして気付きました。これは全部わざとなのだと。悪ふざけなのだと(ちなみにこの動画はロングバージョンもあります)。気付いた後に、爆笑しながら「いいじゃん!」と思いました。

グラスパーの”Everything’s Beautiful”もこの曲も酷評する人は少なくないようです。マイルスが生きていたらこんな音楽はやっていないはずだ、こんなのはマイルスへの冒涜だ、といった意見も目にします。

でも私は好きなアルバムで、このPVでの悪ふざけも好きです。というか、マイルスの音源や演奏を素材に何か重厚で本格的な楽曲を「クソ真面目」に作って完璧なアテレコのPVを撮ったりしたら、そのほうがむしろマイルスは怒ったのではあるまいか、と思ったりします。

亡くなった人のことはわからないのでマイルスがこれを見て何と言うかはわかりませんが、個人的には悪戯好きだったマイルスへの良いトリビュートになっていると感じます。俺は許す!(何様w)

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パット・メセニーからの批判に対するKenny Gの反応

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先日パット・メセニーが本気で怒ったあの事件を振り返るという記事を書いたのですが、では批判されたKenny Gはどんな反応を見せたのかを紹介してみたいと思います。このサイトの”Kenny G likes Kenny G just fine”というインタビュー(「Kenny Gは自分が好き」)で彼は次のように答えています。

全く影響なかったよ。(パットの批判は)最初、冗談だと思ったんだ。ああいうミュージシャンが大っぴらに他人についてああいうことを言ってしまうことにぼくは失望した。ああいうのは一流の(classy)人間がやることではないよ。彼がああいう方向に行ってしまったことには失望した、でもぼくには無意味だったね。ぼくは自分がやることをやるし、自分でそれを気に入ればもう十分満足なんだ。言わせてもらうと、あのアレンジ(=ルイ・アームストロングとの仮想共演)が嫌いだっていう意見は誰からも聞いたことがない。みんな、あれは僕がやったものの中で気に入ったものの一つだって言ってくれるよ。

このようにKenny Gは「何故自分がこんな目に合うのかわからない。自分は好きなようにやっているだけで、みんなも僕の音楽を気に入っているんだからいいじゃないか」という感じの口調です。彼が本心でそのように語っているとするなら「悪気のない人ほど脅威である」と思ったりしました。

こうした感じの「悪気のない人」は日常生活でもよく遭遇します。例えるなら会社だってそうです。何か非常に繊細なコミュニケーションが必要な機微情報があり、その扱いにみんな苦心しているとします。なんとか頑張って正確に伝えようとする。

そこに突然その「複雑で微妙なもの」を、三語くらいでサクッと乱暴に説明してしまうイケメンが現れたとします。「要するにこういうことでしょ」と。すると、みんな感動します。わかりやすい!美しい!シンプルイズベスト!あっちの難しい話をする人たち要らない!素敵、抱いて!みたいな感じになってしまいます。

でも、この「悪気のない人」がどこからその「三語くらいのまとめ」を導き出すことができたか。Kenny Gで言えば、ロングトーンと速いパッセージの組み合わせでできた「俺の十八番リック」を、どこから導き出すことができたか。それはやはりジャズというジャンルだったのではないでしょうか。Kenny Gの成功は先駆者の苦心の上に成立しているのです。

悪気のないKenny Gさんは、モテモテです。彼のファンには、Kenny Gはジャズではない別の音楽だ、そして悪くないと自分は思う、という人もいるでしょう。同時に一部のファンはこう思いはじめるのです。これが私が好きなシンプルなジャズだ、と。小難しいジャズはもう要らない。ケニーが三語にまとめてくれたジャズがあればいい、と。

そしてその「Kenny Gのファンの一部」は世界中で百万人単位でいたりするのかもしれない。すると世の中では元々のジャズがネガティブなものとして受容されかねない。Kenny Gが自分の音楽を取り出したのは、その中からだったのに、ケニーが売れれば売れるほど人々はオリジナルのジャズから離れていく。というのがメセニーの苛立ちと危機感であったような気がします。

そしてネタ切れになったらポール・デスモンドのソロを何コーラスか完全コピーした演奏を録音したりする。「何が問題なんだい、美しいじゃないか、それにみんなぼくの音楽が好きだって言ってるよ!わかりやすいって好評だよ!」

これは何というか、NAVERまとめみたいなものに思えます。いろいろなウェブサイトやブログをまとめた「NAVERまとめ」というサイトがありますよね。あれは便利だとしても、まとめ元のオリジナル記事なんか見に行く人はほとんどいません。でもそのオリジナルがなければまとめ自体が存在できないのです。

Kenny Gはひょっとしたら、メセニーにとって憎きまとめ職人だったのかもしれません。自分がその中から出てきたジャンルに対してレスペクトを持っているのなら、やってはいけないことがあるだろう、というのが当時のメセニーの怒りの根底にあったのではないでしょうか。さらに二人は髪型も似ていたのでメセニー先生はさらに面白くなかったのかもしれません…(自分自身、そして自分を含むジャズと呼ばれるジャンルのほうが価値が低いと思われるのが嫌でたまらなかったのではないでしょうか)。

武蔵野文化事業団の高度なフレージングスキルを分析する

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Twitterで武蔵野文化事業団さんが面白いチラシを配布されていました(画像は公式アカウントより)。12月のファビアン・アルマザン&リンダ・オー公演のチラシなのですが、この仕事がすごい。まずはご覧下さい。

武蔵野文化事業団の高度なフレージングスキルを分析する

では早速アナリーゼに入りましょう。

「”旬”のジャズマンは彼らだ!彼らなんです!!」

この「彼らだ!彼らなんです!!」という反復。小さいメロディを反復する際に部分をエディットするという効果的な基本技。「だ」を「なんです」に拡張することで「彼ら」が強く胸に刻まれる。なお「”旬”の」は半拍前からのクロマティック・アプローチで多分深い意味はない。そうだそうだよそうだよね。

「時代の寵児x時代の寵児」

印象的なソロにはキャッチーな小さいフレーズの反復が不可欠。時には完全に同じパターンをそのまま繰り返す。必ずしも変化球が必要なわけではない。

「彗星の如く、頂点へと駆け上がるジャズ・デュオ」

使い古された歴史的表現・クリシェも時には堂々と導入する。これにより演奏に歴史的パースペクティブが生まれ、プレイヤーの背後に後光が射す。恥ずかしがらずに弾ききるのがポイント。

「ブルーノートよりCDを発売!!」

息切れしてもショー・マスト・ゴー・オン。音楽を止めることはできない。権威の力を借りつつハッタリをかます技も時には必要…なのかもしれない。「ダウンビート…」と「テレンス・ブランチャード…」も同様。いろいろ詰め込みすぎた感はあるもののスピードとドライブでうまく乗り切っている。

「パット・メセニーが惚れ込む才能!!」

「ブルーノートより…」同様の権威モチーフの反復。捻りのない直球のコードトーンを立て続けに放り込むことにより意外性が生まれている。コード的にここはV7だが使用されている音はミクソリディアンのみであり、オルタード・テンションに慣れた耳にこの表現は斬新に響く。現代的だ。

「メセニーのバンドで世界中をたくさんツアー!」

着地先のトニックでもアイオニアン一発…かと思いきや、「たくさん」という唐突感のあるワーディングが強烈な#11thとしてサウンドしている。アイオニアンからリディアンへのこの変化、実にカラフルと言わざるをえない。破壊力抜群のこの演奏のハイライト。

「なんと!アメリカの老舗ジャズ雑誌、ジャズタイムズ誌の表紙を単独で飾る大快挙!」

どんなに手垢が付いたクリシェ的表現であろうと、恥ずかしがらずに堂々と弾ききると「お、おう…」と聴き手も納得することがある。ちなみに「なんと!」はジャパネットたかたの通販番組から引用したフレーズ。

「更に売れっ子になりすぎて、180席のスイングホールで聴けなくなる前に!」

次のコードを先取りするアンティシペーション的表現。小節線を超えたこのスリリングな表現にプレイヤーとしての武蔵野文化事業団の高い力量を感じる。「聴けなくなる前に!」はトニックの9thに解決しており、この浮遊感がチケットの購入意欲をそそる。”Yeah!”と叫びたくなる見事なクロージング。

というわけで皆さんファビアン・アルマザン&リンダ・オー、観に行きましょう。

ファビアン・アルマザン&リンダ・オー
2017年12月16日(土)午後3時開演
武蔵野スイングホール

ハンドスピナーで練習時の集中力を高める…ことはできるのか

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ハル・クルックの「ハウ・トゥ・インプロヴァイズ」という有名な本(このページでも紹介しています)に、次のように書かれています。

それぞれの練習セッションの最初には、1つの(長く延ばした)音、または単調なくり返しのエクササイズに、数分間意識を集中させてみるとよい。それによって意識が1点に集中し、焦点がはっきりとするだろう。このような方法で始めると、意識の集中を保ちやすい。

これはすごくありがたいアドバイスで、有効だと感じています。最近流行の言葉で言うところの「マインドフルネス」状態に入りやすくなるのだと思います。

そして下の物体にも同じような効果があるらしいことがわかりました。ハンドスピナーと呼ばれるガジェットです。

ハンドスピナーは練習の集中力を高められるか

動いている様子がこちら。手に持たず本や机の上でも回せます。この虹色のデザインのものは見る角度によって模様が変わります!練習前の集中力向上に…とか思っていたら不思議すぎて猿のように何度も回してしまいます。まずい、読譜練習に入れないw

このオモチャ、デザインも様々なものがあって選ぶのが楽しいです。あと何個か欲しいです。価格も数百円から二千円くらいまで様々。極端に安いものはベアリングの質が悪いはずなので、回転性能を重視して私は二千円弱のものにしてみました。何故かスペアのベアリングも付属。3分とか余裕で回り続けます。

何か心が落ち着くんですよね。朝起きて、20bpmくらいの低速で「ポ〜ン」とロングトーンでスケール練習する時のような感覚です。気持ちを整える効果があるんでしょうか。雑念が消える感じです。脳の何処にどんなふうに作用しているんだろう。α波とか出るのでしょうか。波の音を聴いている時のようなリラックス感があります。

このハンドスピナー、英語圏では”fidget spinner”と呼ばれていて、ADHD(注意欠陥障害)のこどもに集中することを覚えさせるためにも有効な玩具らしいです。無意識にシャープペンシルをカチカチしたり、会議中ノートに謎の線をぐるぐる描き続けたりするような行為も集中力の維持と関係があるようです(「貧乏ゆすり」にも集中力向上効果があるらしい)。

上のハル・クルックの言葉に「1つの(長く延ばした)音、または単調なくり返し」とありますが、ハンドスピナーにはその両方の要素がありそうな気がします。周期的な回転とそこから発せられる音。

20分毎に休憩を取るポモドーロ・テクニックという集中力維持の有名な技法がありますが、頭の疲れが取れない時などはこれを回したり眺めてみると少し効果がある…かどうかはまだわかりませんが、少なくとも気分転換にはなりそうです。私は手の中で回すより机に置いて回して眺めるのが好きです。

敬称の悩ましさ

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こういうブログをずっと書いていると改めて疑問に思うことや自分の態度を決めなくてはならないことが次々と出てくるのですが、「敬称」をどうするかというのもその一つです。

例えばこのブログで「パット・メセニーは…」と書くことはあっても「パット・メセニーさんは…」と書くことはまずありません。一方、日本国内のミュージシャンについては「小沼ようすけさんは…」と書いたり「小沼氏は…」と書くことが多いです。「小沼ようすけは…」と敬称なしで書くと、呼び捨てみたいでちょっと躊躇われるのが正直なところ。

「さん付け」表現は、丁寧に響きはするのですが、私自身としては「その人と私がリアルで交流したことがあるか、知人・友人関係である場合にふさわしい」ものです(あくまで私の場合ですよ)。だからこのブログで「パット・メセニーは…」と書けても、「パット・メセニーさんは…」とは特殊な効果を意図している場合を除いて、書きにくい。

ところがこのマイルール、適用が厳格でなかったりします。日本人ミュージシャンに言及する時、頻繁に崩壊します。例えば、私は小沼ようすけさんとじっくりお話をしたこともなければ、一緒にサーフィンをする仲でもありません。そのためマイルールを適用するなら、文章では「小沼ようすけは…」と書くべきなのです。

が、実際に「このライブでの小沼の演奏は本当に素晴らしく…」などと書くととっても偉そうに見えるわけです。これがJazz JapanとかJazz Lifeのような権威ある雑誌のライブレポートなら問題ない表現だったりするのですが、海の物とも山の物ともつかないこういう個人ブログでそういう風に書くと自分でも違和感を覚える時があります。

そこでマイ折衷案として「氏」という新しい表現が登場したりします。「小沼氏は…」という表現がそれです。これは「さん」を付けないことによって自分の中に発生する違和感や、読者の方の心の中にも発生しうる違和感を回避すべく、私の無意識が編み出した暫定的ソリューションでございます。

あまりに強い共感を覚えたり、親近感が強くなると、知り合いでなくても、どうしても「さん」と書いてしまうこともあります。これは普通のファン心理として自分でも自分を大目に見たい(笑)。敬称に関するマイルールの適用はかなり弾力的なものです。

こういう問題は外国語、例えば英語でのコミュニケーションではほとんど発生しません。基本的に悩む必要がありません。こういう悩みは日本語に特有のものでしょう。

他にも尊敬語とか謙譲語とか儒教の影響とか上下関係とかそういう話も書きたくなりましたが際限がないのでこのあたりで。こういうふうに物事を考えるのは、より自由に、そしてより正確に誰かにメッセージを伝えるための訓練に近いものがあり、その点、楽器の練習に近いところもあります。

ここでこの音はどうかな。ここではいい感じ。でもここだとうまく響かない。じゃあこの音はどうだ!みたいな。

ただ、いつでも通用する万能のルールみたいなものはなさそうです。


Jakob Broの作曲法:小さい「気分」をスケッチする

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先月Jazz Guitar Forumでヤコブ・ブローのスレッドを立てて下さった方がいて、下のインタビュー動画を紹介して下さいました。大変興味深い内容だったので、外国語が苦手な方にも観て欲しいと思い、主に彼が作曲について話している箇所の概要を日本語にしてみました。

なおデンマーク語から英語への変換はアメリカ人によるものらしいですが、さらに日本語になる過程で細部が落ちている可能性があることを最初にお断りしておきます。

(5:16) 何かを連想させるような、何らかの気分(mood)を伝えるようなものを書くように努めている。ギターを使って書くときもあるし、メロディを呼び起こすために声で歌うこともある。大きいものになりそうだなと感じられるものは、しばしば小さい素材であることがよくある。アルバムを録音する場合、一週間前から予定を全部開けておく。ミーティングもリハーサルも何もしない。朝起きて昼のあいだは何もやらない。その日のうちに2つか3つの気分を生み出すことができたら、僕はハッピーだ。夜の9時半頃まで生まれないこともあるけど、寝床に入る前に出てきてくれれば構わないよ。今日僕が書いている素材(曲)は、そのプロセスの産物なんだ。何かを内包している小さい気分、それを展開して、意味のある音楽に変えていく。

(7:39) 作曲は、即興を通じて何かをつかまえることだ。それが僕の方法。しかしメロディーは訴求力を持って発せられなければならない。スタジオ入りする時、完全には形作られていない素材を持っていき、予期しない何かが放たれるのを期待する。そうすることで違う場所に連れていってもらえるし、書かれた音楽に奥行きが生まれる。

(9:22) 僕は、審美的に強力な土台を提供してくれるようなシンプルなスケッチを作る。それを提案した瞬間から、最終的に完成した曲に至るまでのあいだ、僕はとても柔軟だ。スタジオレコーディングが好きなのはそのせいで、自分の曲を2バージョン持って帰ることができる。自分が提供した枠組みに、自分以外の誰かが参加することで独特のサウンドが与えられている。比較的シンプルなスケッチを持ち込んで、音楽が何処に行くのかを観察するような、こういうオープンなレコーディングは魅力的だ。

魅力ある演奏をするプレイヤー、美しい曲を作曲するミュージシャンが頭の中でどんなことを考えているかは本当に興味があります。ヤコブ・ブローのこのインタビュー動画は、映像もとても美しいので是非観ていただきたいのですが、才能のあるミュージシャンが音楽をどのように「呼び起こしている」のかが生々しく伝わってくる感じのためになる内容でした。

「気分」と「素描(スケッチ)」という2つの言葉が、特に私の心にひっかかったキーワードです。よくジャズの演奏では自分の「感情」(emotion)を伝える必要がある、みたいなことを言われる方も多いのですが、個人的には喜怒哀楽といったニュアンスを持つ「感情」という言葉より「気分」(mood)という未分化で抽象度の高い言葉のほうがしっくりきます。

mood: a state or quality of feeling at a particular time (dictionary.com)

気分:特定の時における気持ちの状態または質

とはいえ、ここで「気分」(mood)と呼ばれているものがデンマーク語でどういうニュアンスを持った言葉なのかは知りません。ヤコブ・ブローというミュージシャンの核となるコンセプトだと思うので気になるところではあります。

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怪談

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※心霊現象が苦手な方、回りに誰もいない方は、夜には絶対に読まないでください
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その夜、遅くに帰宅した私はいつものように、灯を落とした自室で、寝る前のギター練習をはじめたのです。深夜ということもあり、既に寝静まっている妻を起こさぬよう、小さい音で、まずロングトーンから始めたのです。

ポーン。ポーン…

静まり返った部屋に、3弦5フレットのC音がこだまします。ポーン。ポーン…

その時でした。背中がゾクッとし、額から冷たい汗がツー…と流れ落ちてきたのです。いきなり、心臓がドキドキしはじめます。

何かに、誰かに、見られている。

そのように感じ、振り返ろうとしましたが、金縛りにあっているのか、首から下が全く動きませんでした。

そこで、やっとの思いで、首だけを回し、ゆっくりと、背後を振り返りました。恐る恐る…
 
 
 
すると、そこに見えてきたのは、首のない何かでした。
 
 
ハーッと私は心臓をバクバクさせながら、目を逸しました。

何かいる。首のない何か が後ろにいる。

どうしよう。殺されてしまうかもしれない。怖い。助けを呼びたい…

しかし、声は出ません。身体も動きません。

勇気を振り絞って、もう一度後ろを振り向くことにしました。気のせいかもしれないからです。ゆっくりと、ゆっくりと私は後ろを見ました。
 
 
すると、やはりそこには、首のない何かが、いたのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
怪談
 
 
 
ハーッ!!!! 首のないギターだ!!!!!!!!

私の心臓は停止寸前でした。

しかし、私の恐怖体験は、ここで終わりではありませんでした。

もっと、もっともっと恐ろしい出来事が、待っていたのです。

その時、左手側に新たに別の気配を感じました。

何かがいます。その時、自室の扉がギーッ…と、ゆっくりと開きはじめました。

そして、少しづつ見えてきたのです。

うつむいた、青白い顔をした、髪の長い女性が、薄暗がりの中で、こちらを恨めしそうに見つめているのが。

ハ、ハ、ハーッ!!! 私は立ち上がって逃げ出したくなりました。しかし身体は金縛りにあって動きません。

するとそのうつむいた、青白い顔をした、髪の長い女性は、いきなり全速力でこちらに向かってダァーーーッと走り出してきました。

詰んだ、とその時思いました。心臓が止まりそうです。その女性は、とどめに私の顔の前に、

バァーーーーン!!!と一枚の白い紙を突き出しました。
 
 
 
 
ヒエェェーーーーーッ!!!!
 
 
 

そこには “領収書 strandberg Sweden Custom Shop Boden 7 ¥ 759,240″ と書いてありました。

コロス… とその女性は言いました。白い泡を口から吹きながら、私は意識を失いました。

Mike Morenoの作曲心得:常に吸収していれば音楽は自然に出てくるようになる

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マイク・モレノがこのサイトでのインタビューで、作曲することについて次のように語っています。

作曲は自然なものであるべきだよ。締切がない限り、僕は無理矢理作曲したりはしない。作曲は練習や、これまで自分がプレイしたことがないことを頑張って発明することと関係があるんだ。これまで受けてきた影響を活用して、自分自身の何かを生み出す。常に新しいものを聴いたり、学んだりして吸収しているのであれば、音楽は自然と君から出てくるようになるよ。それは君がいままで受けてきた影響の完璧なミックスになるんだ。多くの(僕の)生徒たちはそのことを理解していない。彼等は、その曲知らないといけないよ、と言われた5曲くらいの関連性のないスタンダード曲だけを暗記して、作曲できるように思っている。でも彼等はこういう曲を自宅で聴くことは決してないし、彼等が「聴いている」と言うものについては、彼等は決して学ぼうとしないんだ。影響を受けたレパートリーをより多く自家薬籠中の物にすればするほど、君自身の音楽は完全なものに聴こえてくる。それは自然な過程だよ。新しいアイデアを見つけるのは時には簡単だけれど、時には難しい。

他人の演奏に学ぶべきだ、学ばなくてもいい、コピーすべきだ、コピーしなくとも良い、という議論が頻繁に持ち上がりますが、マイク・モレノは一貫して過去の偉人に学ぶことの有効性を主張しているように見えます(とはいえ、彼は「本」によってそれを学ぶのではなく、とにかく耳コピーしてそのニュアンスを余すことなく伝えられるくらい弾き込むことの重要性を語っています)。

作曲についてもとにかく様々な影響を受けることの重要性を語っています。たくさん聴けば聴くほどそれらが自然にミックスされて、なおかつ自分の個性もそこに乗る、という考え方は、私は結構好きで、自分にとってもそれが自然な音楽的成長を見込める普通のパスではないのかな、と思ったりします。

大体何か行き詰まったら、新しい音源を聴いたり、新しいことを試してみるとかなりの確率で閉塞状況が打開されたりすることが多いです。最近はJazz Guitar Forumで様々な新しい音源に触れることができて刺激になっています。モレノ先生、口調は厳しいですが、バッサリと「本当のこと」を言ってくれている感じが良いです。

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マイク・モレノ、最高でしょう。この絶対的な自身、自分自身への挑戦と信頼。厳しい意見を言うことで敵を作ったりもするのかもしれないけれど、彼の音楽は彼の言葉の全てを正当化するのではあるまいか、と思えます。説得力ありまくりです。

怪談(弐)

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※心霊現象が苦手な方、回りに誰もいない方は、夜には絶対に読まないでください
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その蒸し暑い夜も、私は薄暗い自室で、いつものようにギターの練習をはじめようとしたのです。しかし、ギターを手に取った瞬間、何とも言いようのない違和感を覚えたのです。

弦高が、高い…

ネックが…動いた?

そう考えると、ゾクッ、と背筋に震えが走りました…ですが、湿度の高い日でしたので、ネックが動いてしまったのは、心霊現象ではないだろう、と自分に言い聞かせ、とにかくギターのチューニングをしようと、その古びたES-175を抱えました。

その時、部屋の奥でピキンッ!!という音が聞こえ、ヒエッと私は飛び上がりました。

部屋の奥のラックに置いてあるギターのどれかが、湿気でネックが動いたせいか、弦が滑り、ナットからその甲高い音が出たようでした。

しかし、私の首筋あたりに、冷たい汗が吹き出してくるのを、感じていました。

気を取り直して、チューニングをはじめました。右手で3弦を、ポーン、ポーンとはじきながら、左手でペグを回していきます。

ポーン、ポーン…

しかし、何か様子がおかしいのです。ポーン、ポーン、というその音、まったく音程が変わらないのです。

左手では、きちんとペグを回しています。

ポーン、ポーン…

いくらペグを回しても、音が上がりません。私は、自分の呼吸が荒くなってくるのを感じました。

そして回し続けていたそのペグが、3弦ではなく4弦のそれであることを悟った瞬間、

バチィィィィィィン!!!

という轟音とともに、弦が切れ、私の顔を鞭のようにビシィィ!!と打ち、私はヒエーーーーッ!!!!と叫びながら、椅子から転げ落ちました。

慌てて立ち上がろうとしたその時、何かを踏みつけたような気がしました。その時、轟音で「ステラ・バイ・スターライト」のバッキング演奏が流れました。それは私自身の演奏だったので、ヒエッ、俺がギターを弾いている!!と驚いたのですが、踏んだのはルーパーで、前の日に自分で入れていた演奏が流れただけでした。

ガタガタガタガタ、ガタガタガタガタ震えながらも、深呼吸をして、私は練習を再開することにしました。

175は弦が切れてしまったので、今度は、まだ使ったことのない、友達に借りていたギターをラックから取り出しました。

友達によると、そのギターは特殊なものだそうで、チューニングする際は、ヘッドの裏側にあるボタンを押すように、と言われていたのでした。

その通りに私はボタンを押し、また、ポーン、ポーンと、音を鳴らしはじめました、が、まさにその時のことでしたペグが勝手にギィィーッギィィーッ!!!と動き出して私はウワァァァァァァ!!!!と椅子から転げ落ちました。

私はすぐその友達に電話してお前のギターッ!!!これ何か憑いてるッ!!!と訴えました、すると「落ち着け落ち着くんだそれはトロニカルチューンというオートチューニングマシンであり心霊現象ではない」となだめられました。

 
 

もうすっかり恐ろしくなって、布団をかぶって寝てしまおうかとも思ったのですが、やはり寝る前の練習はやっておきたかったので、私は嫌々ながら、そのおばけみたいなギターを抱えて、練習をはじめました。

しかし、何かヘンなのです。

指が、思い通りに動かない。

自分でイメージしたような速さと器用さで弾くことができない。

これは…と、私は考えました。

もともと私のテクニックは、この程度だったろうか。それとも、私はいま、金縛りにあっているのか…

指をいっぱいに拡げる、難しいコードを押さえようとしてみました。

やはり、思うように押さえられず、きれいな音が出ません。

額と背中に冷たい汗がびっしり吹き出してきているのがわかりました。

何か霊的な力が、私の指から力を奪っている。

または、私にはテクニックがない。

 
それは、どちらであっても、大変恐ろしいことだったので、それ以上は考えないようにしました。
 

私は練習を続けることにし、1本の弦につき2個の音を弾く「ツーノート・パー・ストリング」で6弦からメジャースケールを上行することにしました。すると、ドレミファソラ…と音程は上がっていくのに、指はネックをヘッド側に下っていくじゃありませんかこれは怪奇現象だヒエーーーーッ!!!!

その時アンプからブォォォォォォーン!!!!という爆音が聞こえ私は思わずギャーーーッ!!!!と叫んだのですが、それはDV Mark Little Jazzの、よくあるファンの騒音でした。

この夜はもう練習をやめることにして、私はYouTubeで大好きなパット・メセニーの動画を見てから寝ることにし、適当なものをクリックしてみました。

ヒエーーーーッ!!!!楽器が勝手に演奏しているーーーーーッ!!!!

近現代音楽に学ぶ (6):武満徹

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1996年に65歳の若さで亡くなった日本を代表する現代音楽作曲家・武満徹。その武満氏への800ページ弱にも及ぶロングインタビュー本が昨年出版されていたのを知り、最近少しづつ読み進めています。読んでいてあらためて思うのが、武満徹という作曲家を理解するにあたって重要な概念が「ジャズ的な何か」と切っても切れないものであるということです。

身体性・エモーション・洗練前のエネルギー

武満徹が熱心なジャズファンであったのは有名ですが、武満徹・音楽創造への旅(立花隆著)を読むと氏のジャズ愛の根底には「音を構築する」という西洋的な発想、個々のプレイヤーを均質な存在として扱うオーケストラという組織に対する違和感があったことがわかります。

武満にとってジャズとは個々人が身体・肉体を駆使して生み出す官能的な「行為」であり、そこには強い生命力とエネルギーが本来はあったのでした(ただ当時の「モダン・ジャズ」は既に洗練の過程に突入してしまっていて氏はそれが不満だったらしい)。武満にとって音楽はもともとそうした個人的な行為を通じて「自然との神秘的な交感」を得ることだったようです。

こうした発想を西洋的なオーケストラに持ち込んだ「テクスチュアズ」という作品は、セクションによっては一人一人のプレイヤーのために五線譜が用意されることになり、演奏者からは大変な不興を買ったエピソードが語られています。オーケストラというのは元々統合の取れた一つの巨大な音響装置として機能するわけで、その中で個々の演奏者を大事にしすぎるともはや従来のオーケストラ音楽ではなくなってしまうわけです。

武満がジャズの中に感じ取った個々のプレイヤーの身体性・個人性、一音入魂的な姿勢による「自然との交感」は雅楽をはじめとする日本の伝統音楽に近いものがあり、「ノヴェンバー・ステップス」のような代表曲はそういう文脈の中でも理解できるのでしょう。

ただ武満氏はこういうことも言っています。

日本の音楽は、さっきの音色の話のように、ひとつの美しい、ポーンと出した音のなかに、なんかある世界を全部読み取っちゃうようなことを繰り返してきたわけですけれど、それが落ち込んでいくある種の頽廃というか、それはとってもこわいように思ったんですね。(…)

音楽は個人的な営みだけれども、決して個人のなかで終わってはならないというようにぼくは思っているからです。そういう頽廃のなかに身を置いてしまうということは、もしかしたら容易なことかもしれない。だけど、やっぱり、そうなっては何のための音楽なのかという気がする (武満徹・音楽創造への旅 p.347)

武満にとって音楽は最後まで他者、リスナーとの関係性の中に存在するものであったのでしょう。ジャズや日本の伝統音楽が持っている原初的な、近代化され洗練されてしまう前のエネルギーに憧憬を持ちつつも、そこに単純に回帰するのではなく、かといってオーケストラに代表されるような近代性をそのまま受け入れるのでもなく、その狭間で自分の音楽を探求していたところが武満徹という音楽家の面白いところだったと思います。

調性の信奉者

武満徹は12音音楽の発展形である、トーナル・センターのない完全無調のトータル・セリエリズム(代表的な作曲家はピエール・ブーレーズ)に対しても違和感を持っていたようです。これも上で触れたオーケストラが内包していたようなヨーロッパ的な近代性の産物だったからだと思います。1オクターブ中のどの音にも特権的な重みを持たせないかたちで音を「構築する」この手法は、武満の中ではオーケストラの中である意味無個性に決められた役割を予定調和において演じる音楽家たちの姿と重なっていたのかもしれません。

武満徹はリディアン・クロマティック・コンセプト(LCC)を、ジョージ・ラッセルが出版する前に手稿状態で読んでいたことがインタビュー中で語られていました。12音全てが「正誤」ではなく「トニックへの遠近」によって関係づけられるLCCの思想は武満にとってかなり重要なものだったことがわかります。1966年の「地平線のドーリア」ではLCCの考え方を応用し、ドリアンモードから様々なモードを派生させ作曲したそうです。

オリヴィエ・メシアンとのエピソード

この本のインタビューではフランスの現代音楽作曲家オリヴィエ・メシアンとの面白いエピソードも語られていました。メシアンの音楽が「ジャジー」だと感じていた武満は、「アーメンの幻影」の中に三小節完全にデューク・エリントンと同じフレーズがありますね、と言ったら激怒されたらしい(笑)。武満はその類似が気に入っていたけれど、メシアンはジャズ的な音楽は下に見ていたところがあるのでしょう。武満が「自然との神秘的な交感」を志向していたように、メシアンは「(カトリック・キリスト教における)神との交感」を志向していた感があり、神秘主義的な親近感はあったのだと思いますが、やはり西欧近代的な思考とのせめぎあいの中で戸惑うことが多かったのだろうとあらためて思わされます。

自然・夢・数

武満徹はナチュラリストであり神秘主義者でもあったと思います。自然の中から音楽を汲み取る姿勢はバルトークを思わせます(そのバルトークも独自の調性理論で面白い音楽をたくさん生み出していました)。あと彼は夢で見た動物や図形をベースに作曲したり、数の秩序もよく導入していました。下の曲はチェロとピアノのための「オリオン」という曲ですが、チェロの主題などはもう完全にオリオン座の中心の3つの星です。

1/4の微分音やプリペアード・ピアノ的奏法も、やはり整然とした西欧的近代化への違和感から自然に武満の中から生まれてきた音楽語法であると考えるとしっくりきます。この曲は私にとってアルバン・ベルクを彷彿させる音楽で、大好きです。崩壊寸前だけど調性があるこの感じがたまりません。美しい。

調性というのは、もともといい響きを求めてできたシステムみたいなものですから、調性を使えばそれなりにいい響きがすることはわかっている。しかし、調性による陳腐な響きはいやだ。調性を離れたところで、どうやっていい響きを作っていくか。そういう問題意識がずっとあったわけです。 (武満徹・音楽創造への旅 p.373)

近現代音楽に学ぶ (6):武満徹

武満さんがまだ存命中であったなら、AKB48やカート・ローゼンウィンケルやブラッド・メルドーやロバート・グラスパーの音楽についてどんな言葉を口にされただろう。そんなことを考えるとちょっと面白かったりします。

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夕食会のために銀の食器を磨く

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Greg Fishmanというアメリカのサキソフォン奏者がいます。有名な方なのかどうか知らないのですが、この方のフレーズ集と英文のエッセイを持っています(サックス的表現にはやはり興味があるので色々チェックしています。いつか記事で触れたいと思いますが、サックス奏者の方のライブにもよく行きます。誰にも会わないけど…)。

エッセイは“The Lobster Theory: (And Other Analogies for Jazz Improvisation) “という「譬え話」の本なのですが、”Polishing the Silver”(「銀を磨く」)という印象深いチャプターがありました。私たちは毎日同じコードのアルペジオを練習したりするけれど、それは銀の食器を磨くようなものだ、というお話です。

シルバーの指輪などをお持ちの方は容易に想像できると思うのですが、銀製品は使っていないとすぐに黒ずんできますよね。不思議なことに毎日身に着けていればそうでもないのですが、使わずにしまっておくと酸化して黒ずんできます。

夕食会を開くとして、いろいろな友達がやってくる。彼等のために銀のフォークやナイフを準備しておかないといけない。引き出しを開けてみる。すると全部真っ黒!みたいなことがないように、私たちは日々、F#Maj7だのEbm7だのC#7だのを練習しておかないとね、と、そういう話です。

その夕食会には、コード3つのブルースがやってくるかもしれない。3つ程度の食器ならなんとかきれいな状態で用意できる。では循環の曲がやって来たらどうだろう?すぐ出せますか? なかなか説得力のある譬え話です。日本語だと「棚卸し」という言葉が近いでしょうか。

自分が習得した全てを毎日全部チェックする時間はないとしても、定期的に「あれはできるかな」とチェックするのは大事ですよね。これも不思議なことですが、例えば三ヶ月ほど死ぬほど練習して身体に入ったものは、ちょっと復習するとすぐに取り戻せたりします。誰でも”Donna Lee”を練習するけれど、自分のドナリーを維持するために毎日永遠に練習する時間も必要もない。でも時々磨かないと。というあたり前のお話。

久しぶりにセッションに行くと、「あっ!!」と思わされる時があります。やばい、俺はこの曲のこのセクションで、真っ黒なフォークしか出せない… セッションはそういう確認が出来る場でもありますね。

私の場合で言うと、すぐ黒くなっちゃうのはディミニッシュ系かな(笑)。そんなにしょっちゅう使わないし、曲の中で使っても頻度的にはメジャーやマイナーやドミナントにははるかに及ばないし、1度も使わずに1日を終えることも珍しくありません。こういうものはすぐに黒ずんできますね。磨けば光るならまだ良いのですが、炭化して使い物にならないよう気を付けたいところです。たまにしか使わなくても、使う時は最高の切れ味で使いたい。

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愚直で真面目な練習で超えられない壁とは何か

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最近「モンスター」達が入れ替わったフリースタイルダンジョン。先日の「雄猿vs.輪入道」はなんとも胸が締め付けられる、もどかしい戦いでした。

挑戦者・雄猿(ゆうえん)のラップは、明らかに「練習してきたフレーズ」から知的に構築されたものであることがすぐにわかりました。とても丁寧な、真面目な性格が伝わってくるスタイルで、ジャズのアドリブに例えるなら「コードトーンをキャッチーでわかりやすい譜割りのリズムに乗せて届ける」という、アプローチとしては間違ってはいないはずの直球勝負。

しかし、それは私達がフリースタイルダンジョンの挑戦者に求めている姿なのだろうか。

対する新モンスターの輪入道(わにゅうどう)はそんな雄猿の対極とも言えるスタイルで、練習の積み重ねがあるからこそ可能な芸当であるとはいえ、恐らく挑戦者の何倍も高い「精神の解像力」をもってその場で次々と相手に絡みディスり、本人の言葉で言えば「悟して」いくスタイル。

ほぼ全てを事前に用意していた雄猿と、ほぼ全てをその場で、”on-the-fly”で(即席で)料理した輪入道。勝敗は審査員のジャッジを待たずとも明らかでした。

この2人の戦いは、喩えるなら大学のジャズ研1年目で本に書かれたTwo-Fiveフレーズばかり練習している若者とインパルス時代のジョン・コルトレーンとの対決のようなもので、観ていて挑戦者が気の毒でした。

挑戦者・雄猿は何も間違っていないし、練習もたくさんしているのだろうし、きっと真面目な性格であり、これからもレペゼン千葉県松戸市としてどんどん強くなっていくのでしょう。こういう人は続けていけば絶対に伸びる。中途半端なミディアム・テンポで持ち味が発揮できていなかったけれど、雄猿が目指しているグルーヴとヴァイブが一瞬だけ見えたような気もしました。

と同時に、こうも思ったのでした。挑戦者・雄猿がこのスタイルを貫いていったとしても、彼は輪入道やジョン・コルトレーンやエリック・ドルフィーやオーネット・コールマンの世界を垣間見ることは、多分ないだろう、と。

そこには超えられない壁がある。それは私自身も常に越えようと意識している壁です。これを書きながら偉そうに高みから雄猿に同情しているのではありません。と書いておかなければならないのですが、さてどうすればその壁を超えられるのだろうか。

答えは多分、もっとリスクを冒す、ということではないか。譜面に書けないような、後で採譜しようとしても自分で戸惑ってしまうような無茶苦茶なリズムでぶちこんでみる。着地点が見えなくともとりあえず飛んでみる。もっと熱くなってみる。もっと事故ってみる。練習したことを全て忘れて、相手と対峙する。

言うほど簡単なことじゃないですね。でも死ぬわけじゃないないんだから、そういう冒険を冒しても良いのではないか。

ベン・モンダーがこういうことを話していました。

Jazz improvisation has been described as a ratio between spontaneous material and worked out material and most interesting type of improvisation is weighted toward spontaneous, I would much prefer to hear the workings of a creative mind in the moment than what’s somebody practiced in the practice room.

ジャズの即興というのは、自然に発生した素材と、事前に準備した素材との比率で説明されてきた。僕にとって興味深い即興は、より自然に発生した素材に重きが置かれたものだ。僕は、その時々における、クリエイティブな精神のはたらきを聴くのが好きだ。練習室で練習してきたものを聴くよりもね。

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ビル・フリゼールのアドリブ論

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ビル・フリゼールのアドリブについての考え方は、過去にもこのブログで触れたと思うのですが、何度考えても至極真っ当だなと思います。2009年のGuitar Playerとのインタビューで彼は次のように語っています。

Q: 核となるメロディからソロを発展させることについてどう考えていますか。テーマを掘り下げながら、どんなことをやっているのでしょうか。

A: 僕は既にそこにあるものから始めるんだ、そしてすぐにそれを変えようとはしない。僕はソングの形式やメロディを、何度も何度も、自分の奥深くに入るまでくり返し弾くことで吸収するんだ、すると僕はオリジナルのメロディを聴きながら、そこから逸脱していくことができるんだ。あと、それは逸脱していくという感じでもないんだ、曲自体が勝手にいろいろなリハーモナイゼーションの可能性を示してくれるような感じなんだ。あと他のキーに移調したりもする、というのも他のキーで練習すると多くの場合、オリジナルのキーに持って帰れる何かを学ぶことができるんだ。例えば、EやAで何かを演奏したら、それをBbでやってみる。するとそれまで考えずに済んだことと取り組む必要が出て来る。その後にオープンキーに戻ってくると違う視点が得られたりする。

2-5ではこういうフレーズが使えますとか、トニックで使えるフレーズにはこういうものがありますとか、そういう考え方には私自身大変お世話になってきたし、それはそれで特定の意義があることだとは思っています。とはいえ、テーマを演奏して、その次の第1コーラスで自分はどんな「アドリブ」を演奏するか。そうした「教則本たち」には、その答えがまったくなかったのも事実です。

どんなスタンダード曲でも良いのですが、その曲のメロディを発展的に拡張するような弾き方ができるようになりたいと思って練習してきました。メロディの音を必ず入れた8分音符だけの無窮動的な練習をするとか。そのやりかたは間違っていなかったのだろう、とビル・フリゼールの音楽を聴くたびに思います。

自分はフレーズを知らないとか、変わったことができないとか、思いがけないことができないとか、そういう悩みは本当に馬鹿らしい、と、ビル・フリゼールを聴くたびに思います。

全部そこにあるじゃないか、と。

既にそこにあるメロディを、ちょっと気恥ずかしい言葉だけれども、慈しみつつ、これいいな〜と愛でつつ、何度となく弾いてれば、それで十分いい音楽になるんじゃないか。

I begin with what’s already there.

僕はすでに与えられているものから始めるんだ。

むかし「2-5-1で何でもいいから何か弾いてみて」とか「FMaj7で何でもいい何か弾いてみて」と習っていた先生に言われて、何も弾けなかったことがあります。私はゼロからはじめられませんでした。何の曲の2-5-1、何の曲のトニックかわからないと何も弾けなかった。今はできる。でも当時の自分は、特に間違っていたわけでもないんじゃないのかな、と今になって思います。

宇田大志さんがリットーミュージックから教則本を出版!!

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みんな大好き宇田大志さんが何とリットーミュージックから教則本を出版されるようです!!自費出版のもの(pdf)を販売されているのは知っていたのですが、それとは別にこんなプロジェクトを準備されていたとは。

3年後、確実にジャズ・ギターが弾ける練習法 (模範演奏CD付)」という本です。

発売は9/25のようですが既にカテゴリ1位(笑)。私も早速注文しました。「3日で弾ける」ではなく「3年後」というのが現実的で良いですねー。「確実に」というのも訴求力のあるキーワードです。「ジャズに近道なし!」というコピーも素晴らしい。これは期待を裏切らない本でございましょう。3年後、4つの曲を確実に弾く。目標が明確な本です。

怪談(参)

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以下に記すエピソードは、アメリカ合衆国のとあるギターショップ店員が実際に体験した恐怖事件である(証言)。心霊現象に免疫がない方は決して独りでは読まないよう強く推奨する。
 
 
 
 
 

ギターショップにいて、何を買うわけでもなく、そこで働いているわけでもないのに、あたかも何か買おうとしているような、そこで働いているかのような、そんな男にしつこく絡まれたことは、ないでしょうか…

私は、ギターショップで働いています…ですから私は、どのお客さんにも、愛想良くしなくてはならないのです…しかし、それは問題ではありません…ですが、その男は店に入るやいなや、20分は余裕で滑稽なことを言いはじめるのです…例えば、スクワイヤーのクラシック・ヴァイブは、私がいまピカピカに磨いて壁に掛けたばかりのカスタムショップ・リイシューよりも優れたギターである、などと言うのです…

時には、ハムバッカーを使っている限り、お前は本物のトーンを手にしていない、みたいなことを言ったりもします…また時には、展示中のヴィンテージ・ギターアンプをちらと見ては、50%オフにしろ、と言ってきたりします、理由は「むかしデジマートでその値段だったろ」です…

この男は、私が他のお客さんへ接客しているときに近づいてきては、メタルやりたい奴にアクティブ・ピックアップを勧めるなんてありねえだろ、などと言ったりします…それか、エフェクターを売ろうとしていると、それトゥルーバイパスじゃなくね?などと難癖を付けてきます…最新技術に興味がありそうなお客さんがフラっと入っていた時に、モデリングアンプを提案する時も、その男がやって来ます…そう、そしてフロイドローズのアームが付いたギターを売ろうとする時も…

この男は「価値観は人それぞれ」ということが理解できないのです…彼には、むかしエリック・クラプトンのギターテックをやっていた男を知っているという友達がいるらしく、トーンについては彼の知らぬものなどないのです…

この男が迷惑だ、とお客さんから苦情を申し付けられた私は、この男に対し、丁寧に、他のお客様に御迷惑をかけないでくださいますようお願い申し上げます、と告げると、男はインターネットの掲示板で、私の店について苦情を撒き散らしはじめるのです…

彼は、確固とした自分の意見を持つことによって、私よりも優れた仕事ができるわけではないということを、理解していないのです…

彼は、他人をイライラさせる完全なバカであるために、何度も何度も就職を断られてきたので、自分自身の存在価値を誰かに認めてもらいたいだけなのです…

とにかく…こんな男には、構ってはいけません…その男は、誰彼かまわず八つ当たりしているだけなのです…

 
 
ヒエエエエエエエーーーーーッ!!!!

如何だったろうか。これほどの恐怖体験、これほど邪悪な霊はこの世に他に存在しうるだろうか…

なお「私も楽器店の人に、そのように嫌われてはいないだろうか…」と心配された方に言っておこう…この男は、そんな心配をする神経など持ち合わせてはいない…あなたは全く問題ない…この男は、そんなことで心配したりはしない…
 
 
ヒエエエエエエエーーーーーッ!!!!

On high-end handcrafted Japanese archtop guitars

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From time to time, I have been getting inquiries from non-Japanese speaking guitarists from overseas asking me who could be the best luthiers here who craft the archtop guitars for playing Jazz.

I must say first of all that I am not qualified to tell who possibly are “the best” luthiers (the concept of “the best” itself is somewhat dubious, isn’t it?) here, but I thought I could at least introduce some Japanese luthiers who are considered by many to be great, within my limited knowledge.

Please be advised beforehand that I am not endorsed by any of these craftsmen in any way. The author of this post is just a Jazz guitar aficionado living in Tokyo, Japan. I happen to own some of their guitars, but this post is written only for informative purposes.

Yamaoka Guitars

Yamaoka Guitars may be one of the best known high-end handcrafted archtop Japanesese guitars, crafted by Mr. Norimasa Yamaoka, who resides in Kurashiki-City, Okayama prefecture. The guitars he makes are branded as “Strings Art” and famous for its unique resonance material known as “King Post”, which lies between the end of the neck and the bottom of the lower bout of the body. It does not touch the archtop surface, and said to function for the sake of better sustain like those center blocks do found in traditional semi-hollow body archtop guitars.

Many first-rate Japanese guitarists such as Shunji Takenaka, Toshiki Nunokawa, Mitsukuni Tanabe, to name a few, use the guitars by Mr. Yamaoka. You can see several demonstrations of Yamaoka guitars at YouTube – for your convenience, I place the link here.

If you come to Japan to buy one of his guitars, I think there is a high chance you can see it in a shop like Guitar Planet (in Ochanomizu, Tokyo) or Miki Gakki (in Umeda, Osaka). However in order to make sure you can try one of those, I highly recommend to get in touch with the craftsman himself.

Nishgaki Guitars

Behind “Style-N Nishgaki Guitars” is this young talented luthier, Mr. Yuki Nishgaki, who is said to have been influenced by the greats such as Abe Rivera, Stephen Marchione and John Monteleone. He lives in Miki-city in Kobe prefecture, and more and more gathering attention since the great players such as Yosuke Onuma (known for his collaboration with Tony Monaco & Gene Jackson, and musicians from French Guadeloupe for his “Jam Ka” project) , started to use his guitar. I have listened to those guitars played by Mr. Onuma himself for many times, and was simply astonished by their wide range of dynamics (one of the guitars Mr. Onuma owns is a fretless, which sounds incredibly great) and smoothness all across the neck.

It looks like “Style-N Nishgaki Guitars” consists of two basic models, called “Arcus” and “Cirrus” each. The former looks like traditonal archtop guitars that you can have either as a full hollow or a semi hollow. The latter seems to be semi hollows. But it’s like everything is made-to-order thus no pre-defined structures. I have no knowledge if you can reach them in English or not, but anyway this link or Mr. Yuki Nishgaki’s Facebook link will help. Please search for his name on Facebook and maybe you will get there. Good luck !

Kigoshi Guitars

The man behind Kigoshi Guitars, the luthier Mr. Takayuki Kigoshi, is also one of the young popular luthiers in Japan. So far what he makes are originally structured tele-shaped semi-hollow body guitars, and that is gathering a lot of attention among Japanese Jazz guitarists.

I think it is very much worth while to show you how his guitars sound like here : those two players are very famous Japanese guitarists, Koichi Yabori and Yoshifumi Matsubara. Mr. Matsubara (to the right), is one of those young Japanese guitarists who are expected a lot.

Although I haven’t yet had the chance to try his guitars so far, I can tell that it definitely has its own characters that are not found elsewhere. If you are interested in one of those guitars, I think you’d better get in touch with the luthier himself (who happens to be a great guitar player himself by the way !), or drop by at a Jazz live restaurant called “Virtuoso“, located in Akasaka, Tokyo.

Westville Guitars

I guess many of you who are interested in MIJ high quality guitars know the brand. Yes, it is the brand that Kurt Rosenwinkel love to play the guitars from lately. Behind the Westville Guitars is a gentleman known as Mr. Nishimura – who runs a very famous archtop guitar shop called “Walkin’” located in Tokyo, Shibuya. Many of us Japanese Jazz-oriented guitar players love and respect Mr. Nishimura for his long-years’ support for Japanese Jazz guitarists. Westville Guitars looks like to be conceived and designed by the hand of Mr. Nishimura himself, and the actual production seems to be taking place in Terada Gakki, located in Aichi Prefectures.

It’s something like between one-off luthier made guitars and mass-made guitars. Westville Guitars are supported also by Japanese great Jazz-originated guitarists such as Motohiko Ichino, Yosuke Onuma, Kazumi Watanabe and Takayoshi Baba, to name a few. Needless to say, they are all great guitar players. First-rates. By the way, I own a few guitars by Walkin’ myself and they all sound great – especially when I think of the prices I bought those guitars at. “Shibuya Walkin'” is the one of the places you need to drop by when you come to Tokyo, as well as that famous “Shibuya Crossing”, that is not far from the shop.

If you have further inquiries about MIJ guitars, drop me a line at info at jazzguitarspot.com, I will try and find time to reply.

日本で人気のジャズギターとは

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皆さんはジャズ系の音楽を演奏する際に、どのメーカーのギターを愛用されていますでしょうか。外国の有名なサイトにこういうアンケート結果があるのですが、日本版があっても面白いのではなかろうか、と思い企画してみました。

リストはなるべく網羅的なものにしたつもりですが、これが入っていないのはおかしい、というお声は絶対にあると思いますので、その場合はTwitterFacebook等でご連絡いただければ可能な限り追加します(システム上リスト末尾への追加になりますのでご容赦下さい)。複数本のギターを愛用されている方は複数回答が可能です(最大でも10メーカーまで)。

私のギター、お仲間さんは何人いるんだろう?と気になっている方も是非ポチッとご参加いただけると幸いです。得票状況はリアルタイムで閲覧できますので時々チェックしてみて下さい。ご自分が投票された選択肢は黒字で表示されます。

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