アメリカ人が大阪弁で話す設定のデルのCMには不思議な魅力があります。特に「シューッとしてピーッとしたのにしてくれへんか」というセリフが印象的で、いつまでも頭に残ります。
一般的にサラリーマンの世界で「シューッとしてピーッとした」的な表現を使う人間は厄介で、多くの場合トラブルの原因になります。漠然としたイメージだけは持っているが、自分が何を求めているのか正確には把握していない。同じ職場の管理職がこういう人間だと離職率が上がり、クライアントがこういうタイプだとプロジェクトはまず成功しない。この手の男は危険人物以外の何者でもないのである。
その状態で仕事が発注されても、まず途中でちゃぶ台をひっくり返される。「いや、やっぱり違ったんや」とか「シューッとしてピーッやなくて、カーッとしてビシーッみたいなのがええと思ったんや」などと言ってくる。これが原因でかなり多くの人間が健康を害し倒れるような現場もある。
が、しかし音楽の世界で考えるとこの「シューッとしてピーッとしたの」という感覚は、この曲なんかようわからんけど、フリジアンでいっとこか、みたいなモーダルで柔軟な意識を想起させます。コーダルにキチキチと決めていくのではなく、もっと大きい流れを想定してプレイする。
シュッーとしてピーッとしたプレイ。しかしそこに至る道は、口で言うほど簡単なことではなかったりする。