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私も経験した人種差別の話

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以前ある雑誌のインタビューで、将来を嘱望されている日本の女性サックス奏者が米国で演奏中にひどい差別を受けたとさらっと語られていたのを覚えています。それが原因でもうアメリカに行くつもりはない、というような記述もあったような気がします。その部分は2〜3行程度だったと思います。人種差別だったか性差別だったかも思い出せません。

そしてアメリカで活躍されていた、誰でも知っているすごいジャズ・ギタリストの方が著書で、やはり演奏会場のバーのオーナーから東洋人蔑視なことを言われ、アメリカ人の仲間がかばってくれた、というエピソードを書かれていたのを覚えています。その仲間は、ジャコ・パストリアスなのですが…

それらを読んだ時、やっぱりそういうことがあるんだ、と思ったのでした。いや、そんなことは誰にもあるに決まっているのですが、自分自身が受けた人種差別的な体験について語るのは難しいところがあり、誰かがそれを口にする時はいつも「こんなこと話さないほうがいいのかもしれないけど…」というかすかな躊躇とセットとなって聞こえてくるような気がします。

多くの場合、そういう体験については「全く話さないこと」を選択する人のほうが多いような気がしています。私も外国で人種差別的な経験を度々受けてきましたが、それについて積極的に口にしてきたことはほとんどありません。

それらは根本的に嫌な体験であり、思い出したくないから、というのがあります。聞かされたほうも良い気持ちにはならないはず。また、それを思い出したからといって、何千年も前から続いてきている人種差別の解決の糸口が見つかるわけでもない。被差別体験を思い出し、語るのは誰得な感じがしてしまう。不毛すぎる。何一つ解決しはしない。

ならやはり、沈黙がベストなのか。人類のダークサイド、そして自分自身の黒歴史として見なかったことにするか。それも何か違う。というわけで、とりあえず私自身が経験した差別的体験を思い出して書いてみたいと思います。そのことによって、何か得られるだろうか。それは書いてみないとわかりません。

パリの煙草屋で煙草を買ったらお店のおばあちゃんにお釣りを放り投げられたことがあります。手に渡すのでも、カウンターの上に置くのでもなく、拾え、という感じでポーンと投げられたことがあります。明確な軽蔑と拒否のメッセージでした。

ワルシャワにむかう電車の中で席を探している時、小学生の集団が私を指差して腹を抱えて爆笑していました。彼等にとって私は、実際に見る生身のはじめてのアジア人だったのかもしれません。

ソウルの地下鉄で立ったまま他の日本人と日本語で喋っていたら(特に大声ではなかった…はず)、席に座っていた韓国人らしきおじさんが私を憎々しげにガン見していました。膝の上でグッと拳を握りしめて。言葉は一切発しませんでしたが、明確な憎悪がビンビンと伝わってきました。

グランド・キャニオンを歩いている時、中国人の3人家族とすれ違いました。父親、母親、そして高校生くらいの子供。その高校生は、すれ違いざまに “xiǎo rìběnren.”(小日本人め) と私に吐き捨てるように言いました。これはかなり複雑な状況でした(反日もいいけど景色をもっと楽しんだらどうだw カリフォルニア来てるんだから)

地中海に面したある国を一人で旅行中、港町でソーセージとフライドポテトの詰まったサンドウィッチを買おうとしたら、前の客と笑顔で会話していたおばちゃんの顔から笑顔が消え、注文から受け取りまで彼女は私を一切見なかったし、返事もしなかった。低く小さい声で、ソースはホワイトソースにするか辛いのにするか、と宇宙人にでも聞くような口調で聞いてきた。

西ヨーロッパのある国。KFCに入ってチキンを注文して席について食べはじめる。気がつくと回りは黒人ばかりで、彼等は私を見て嘲るように笑っていた。あのチキンの味は最低だった。国によって、都市によって、KFCとかマクドナルドなどが特定の人種専用の場所となっていることがあって、そういうことを当時の私は知らなかった。

等々。どれもすべて映像も音声も生々しく細部まで思い出せます。で、いま思い出してみて思ったのですが、これはやっぱり思い出したくねー話ばっかりだわ、 と思います。思い出して良いことがあまりない。良いことどころか、そうした差別者たちに対する憎しみがフツフツと、どうしても心の底から湧いてきてしまう。

そうか。だから人はあまり自身の差別体験を思い出したり語りたくないのか。思い出すと怒りや憎しみが自分の中に発生してしまうからなのか。ダークサイドに落ちてしまいそうになるからかな。

ここで外国人に対する私に親切にしてくれた人々のことも思い出してみたい。

サンフランシスコで駐車していたレンタカーが目の前から消えてしまってうろたえていた時、白人のおばさんがiPhoneを貸してくれた。地元警察の連絡先も親切に教えてくれた。本当に親切な、いいおばさんだった。通話料を受け取って欲しいと言うと、彼女はそれを最後まで拒否した。

私も経験した人種差別の話

ラスベガスのレストランで憂鬱な気持ちで一人でビールを飲んで会計をお願いしたら、ジョン・ウェインみたいなルックスの背の高い老齢の白人ウェイターがやってきて、私の心を読んだかのように、「今日は…とにかくゆっくり休息を取りなさい」と話しかけてきた。多分私がカジノで負けた気の毒な人か何かのように勘違いしたのだと思う。しかし他の理由で落ち込んでいた私にとって、彼はとても親切な人に映った。

中国の田舎の道を歩いていた時のこと。雨で濡れた道で足を滑らせて転びそうになった私に、道の反対側にいたおばあちゃんが「小心!」(あぶない!)と叫んで駆け寄ってこようとした。その直前までは、観光客である日本人の私を迷惑そうに眺めていたというのに。

大雪のためやむなく着陸したベラルーシ共和国の空港で、携帯の電源が切れてしまった。ヨーロッパ人の誰かが私に、君は大切な人、恋人に連絡したいんだろう、通話してもいいよ、とノキアの携帯を貸してくれた。英語で話したので彼が何人だったのかはわからない。

そういう良いことも、いっぱいあった。ただ、どうもそういう「人種を超えた愛のエピソード」よりも「憎き異人種とのトラブル」のほうが経験の総量としては多いような気がする。私の場合だけかもしれませんが…。

もう一つ、ちょっと興味深いエピソードも思い出しました。とある西ヨーロッパの国で、道を歩いていたら大音量でヒップホップを流しているクルマが猛スピードでやってきて開いた窓から「中国人め!」と叫ばれました。私は咄嗟に「ざけんな日本人だ!」と切り替えしましたが、この時私は自分が心の中で中国人を差別していたことに気付いてしまいました。

こうした嫌な経験というのものは、心の傷となって、大きいものだとトラウマになり、程度がひどいとPTSDとかになったりする。そしてこういう心の傷を癒やす方法は、基本的には全く同じ状況をやりなおす以外にない。でも現実的にそんなことは不可能。タイムマシンでもない限り無理。

するとたぶん、安易なソリューションとしては自分が受けた不当な差別、不快な体験を誰かに味わせて溜飲を下げる、という方向に行くのでしょう。差別主義者は大体そんなふうに誕生するのではないか。勿論それは完全に間違っているんだけれども、差別主義者がなぜ差別に走るかというと、自分が受けた心の傷を癒やすためにそうしているんだろうと思うと、単なるバカな連中、と片付るのが難しくなってきたりもするのです。

東京の街中を歩いていて、大声で北京語の会話が聞こえてくると、中国人はホントうるさいな、と私は時々思います。歩いていて、ぶつかってきた男女が韓国語を話していたことがあって、韓国人ってほんとマナーがないな、と思ったこともあります。

これはどちらも差別的な感情です。私自身も人種差別から自由ではありません。私はそんなに立派な人間ではない。

ただ実際に中国や韓国に行ってみて、良かったなと思うのは、ちょっと話がそれるかもしれないのですが、何故彼等がそういう振る舞いをするのかが少し理解できた点です。中国というのは昔も今も役人が本当に強い国で、しかも人口が多いので意見や主張を大声で通さないといけない。他人に遠慮なんかしていられない。お先にどうぞ、などとやっていたらダイレクトに生命にかかわる。だから日本人から見たら図々しくも見える行動様式に繋がってしまう。

ソウルの繁華街で、路上にたくさん屋台がでていて(鍾路3街だったかな)、そこで酒を飲んだことがあります。ものすごい人出で、狭苦しいところで男同士が肩を組んだり、小突きあったりしながら、汗をかきながら「チャミスル」という緑色のボトルに入った焼酎を飲んでいる。人と人とのあの緊密な距離感覚は、東京のものとは違う。パーソナル・スペースの感覚が違う。彼等が東京の歩道で私にぶつかってきても、ケンチャナヨ(気にすんな)なのかもしれない。

私も経験した人種差別の話

 
さて、何を書こうとしていたのかわからなくなってしまいましたw

そうだ、私はひとつだけ書きたいことがあったのでした。私はもういい年をしたオッサンなので、今からバークリーに留学しようとか、アメリカで演奏家としてやっていくぞ、みたいな野心はありません。でもそういうことを考えている若い人には、多かれ少なかれ人種差別的な経験は絶対するだろうから、いちいちそれを傷に思うことはないよ、と伝えたいです。

恐れずに行ってみるんだ。嫌な思いは絶対にする。でも世界には羊もいれば狼だっているじゃないか。羊しかいない世界、天使しかいない世界、そんなものはない。君だって状況が違えば狼にも悪魔にもなるのだから。

伝えたい、とかいうと何かすごく偉そうなのですが、どうもそういうことが原因で音楽そのものまで嫌になってしまった、という人も少なくないようなので、最初からそういうワクチンを打っておいてもいいのではないか、と思ったのでした。

紀元前2000年とか3000年前から人間は異人種や異教徒に対して容赦がなかった。異教徒は奴隷にした。つい100年前にもアメリカではアフリカから連行されてきた人々が奴隷だった。もう4000年とかずっとそうなんだから、そんなものすぐに変わるわけがない。

そういう状況は変わらないから、その中で自分はどう生きるかを考えることが大事なのだろうと思います。人類は変わらない。でも自分はどう生きるか。他人を変えるのはまず無理だけれど、自分を少しだけ変えるのは、できるんじゃないか。それも簡単ではないけれども。


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