今となっては容易に信じてはもらえないかもしれないのですが、私が中学生だった頃、私が通学していた保守的な地方都市の公立中学校では「長髪」が禁じられていました。
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長髪といっても、ヘヴィメタル・ギタリストのように、肩や背中まで伸びるような長髪が禁じられていたわけではありません。丸刈りや角刈りを放置してせいぜい2ヶ月程度の、数センチの長さの髪の毛が、教師陣にとっては「非行」と「反=規律」の徴となり、髪の毛がその程度まで伸びた私を含む一部の学生たちは、教師たちによる「狩り」の対象となりました。
私はレッド・ツェッペリンやガンズ・アンド・ローゼスを愛する子供だったので、髪の毛が長めだっただけでなく、髪の毛を茶色に染めたり脱色もしていました。私は、そのようにしたくてたまらなかった。そして、教師たちに追いかけられました。
どのように追いかけられたかというと、ハサミを持って追いかけられました。文字通り、あのペーパーをチョキチョキ切るハサミです。教師たちのうち何人かが、ハサミを持って私達を追いかけ、追いつき、ついには髪の毛の一部をザクッと切り取りました。そして、次に登校するまでに、他の皆のように(角刈りスタイルに)してこい、と命じたのでした。
今では信じられないようなことかもしれませんが、むかし、そう遠くない過去に、そういう風習が、日本の学校にはあったのです(ていうか、まだあるんだろうか。あったとしたら普通に憲法違反だから訴えたほうがいいよw)。その名残は現在の高校野球にも残っています。丸刈りにする意味など何処にもないのに、みんな丸刈りです。単なる軍国主義日本の名残。
その後私は高校・大学と進学して、日本以外の国で何年か生活しました。そこで思ったのは、国際的に見れば中学生に丸刈りや角刈りヘアーを強要可能な論理的根拠は他の何処の国にもなく、「歴史的にそうだから」または「そうすることになっているから」という愚鈍な(哲学用語でいえば「カント的定言命法的な」と言っても良い)根拠によって、日本の無知な中学高校生達はそのような理不尽なしきたりに屈服している、ということでした。
それからさらに何年も何年も経ったある日、私はFacebookというSNSに登録してみました。そしてある日、ハサミを持って私を学校中追い回した懐かしい中学教師の名前を検索し、そのアカウントにたどり着きました。
すると、そこには信じられないような写真と、文章が掲載されていたのです。
私はその先生を、尊敬していました。何故ならその先生は、どうやらこいつは音楽が好きらしい、と思ったのか、私にヨハン・ゼバスティアン・バッハのコラールを録音したカセットテープをくれたり、バッハの声楽曲のドイツ語の歌詞の内容を解説してくれたりしたからです。とはいえ、やはりハサミを持って追いかけられ、ある日ジョキッと髪の毛を数センチもって行かれていたため、彼に反発する気持ちもありました。
話を戻しましょう。その出来事から十数年が経過したある日のこと、私はその先生のFacebookにたどり着きました。すると、その先生は、
今年が校長になれる最後のチャンスかもしれない…
と書かれていました。そして、その先生は当時角刈りに近いヘアスタイルだったのですが、今では中学生の頃の私と同じくらいの長さの髪でした。
しかも髪の毛が茶色くなっていました。染めたのです。
私は大学生の頃、村上龍という作家が好きでよく読んでいたのですが、彼の何かの作品で「アメリカに完全に属国化された日本では髪の毛を茶色にする人間が増える」という表現があり、Facebookで久しぶりに見た「恩師」の茶色い髪の毛を見て衝撃を受けました。
その時の私の驚き、というか、失望は、如何ほどだったか。
私にJ.S.Bachの魅力を教えてくれたその先生、譜面の読み方を教えてくれたその先生には、今でもどうやったって基本的には感謝の念がまずあるのですが、ティーンエージャーの私にとって自分のヘアスタイルや髪の毛の色というのはとても大事なものだったのも事実。
それを十分な説明もないまま、そんなものはとにかく認められないのだ、という理由で、ハサミを持って追いかけてきて、しまいにはジョキッと数センチ私の髪の毛を切ったその先生。
その先生は、いつのまにか、ちょっと長い髪の毛になっていて、しかも赤茶色に染められていて、タイムラインでは、今年か来年あたり校長先生に昇格しないともう出世できない、などと書いているのです。
お前の髪の毛は長い、そして茶色い、と私を追い回した黒髪の角刈りの教師は、いま、長めの赤茶色の髪の写真をFacebookに掲げていて、日教組の宣伝活動をしつつ、どうすれば校長先生になれるかを案じていた。
ざけんな、と私は思いました。大体その頃から、Facebookはやっていません(いまFacebookをやられていてこの記事を読まれている方に文句を言っているのではありません。そういう方がいた、というただそれだけの個人的な事情です)。
その私の恩師は、ある意味で時代の変化に順応するかたちで自分自身に改造を加えたのかもしれません。
一方、最近「ビンタ事件」で話題の日野さんは、むかしからずっと変わらなかった人なのかもしれない。
私は暴力は肯定しないし、どちらかといえば「制度的暴力」に迷惑してきた時期が長かったのですが、変わりゆく社会に応じて態度を変えた私の恩師、そして恐らくは自分を変えてこなかったであろう日野氏との対照を前にして、戸惑うところが非常に多い。
いつでもどんな状況でも通用できるような正解は誰にも用意されていない。その時その時で、何に優先度を置き、何を正しきものとして選ぶか。そこにはハウツー的なマニュアルは、たぶんない。ただ、どんな行為を選択するとしても、後に「あいつはダサかった、かっこわるかった」と思われるようなことはしたくない。それだけであります。
中学生をひっぱたいたとされる日野さんを、あの中学生はダセーと思ったんだろうか。中学生をひっぱたいた日野さん(というか、より重要なのはショーを楽しみに来た観客に誰得光景を見せてしまった日野さん)は、いつか自分のことをダセーと思うんだろうか。
それはしばらくはわからない。たぶん何十年か経たないとわからない。今のところ確かなものがあるとすれば、私の先生が教えてくれたバッハの「コーヒー・カンタータ」や、自分が聴いた日野皓正氏の録音音源は素晴らしいものだけだったという事実くらいしかない。